第7章 おわりに
1.博奕・三か条の御誓文
最後に必勝法のまとめとして、プロの豊富な経験と深い洞察に基づいた格言を紹介したいと思います。
カジノ生活25年の常打ち賭人で、オーストラリアを中心に海外の様々なカジノを攻め続ける森巣博氏というプロがいます。常打ちとはつまりギャンブルで生計を立てている事で、25年も常打ちとして生き残り続けるのは至難中の至難だと思われます。
森巣博氏は牌九(パイガオ)という、カジノでも最も複雑で技術を要するゲームで全豪優勝を果たした経験もある人です。
その森巣氏が語る、博奕・三か条の御誓文とは次の様なものです。
@ゲームのルールをよく覚えなさい。
A負ける時は小額の、そして勝つときは多額の掛金(たま)を張りなさい。
B運(ツキ)が去ったと思ったら、すぐに席を立ちなさい。酒でも飲んで寝なさい。
(「無境界の人」 森巣博著 集英社文庫刊)
至極簡単で当たり前の事なのですが、森巣氏曰く「しかし、これが驚くほど単純なモノゴトの本質なのである」とのこと。
各条を見ると、第1条と第2条については努力次第で比較的簡単に身に付きます。カジノのマニュアルをよく読み、本書をよく理解し実践する事である程度の水準に達すると思います。しかし第三条は、単なる理論の理解だけでは身につきません。これらは実践で身に付ける必要がありますが、森巣氏自身もこれが最も難しいと独白しています。
本書で述べてきた事は、すべてこの御誓文に帰結します。
本文中の理論を理解し、「退き際」を見極めつつ冷静に実践ができれば、森巣氏に劣らぬ賭人として、実益を兼ねながらオンラインカジノの広く奥深き世界を堪能する事ができるでしょう。少なくとも、本書の内容を理解するのとしないのとでは、スタート地点に大きな差があるのは明確だと思います。
もし、本書の必勝法を実践し、人によってはトータルの勝敗の差が大きく出るのであれば、それは三箇条に対して、いかに忠実に打てたのかの差だと言えます。そして一番大きく違いが出る原因は、森巣氏が最も難しいと語る「退き際」の見極めにあり、これこそが必勝法の要訣だと言えるのです。
ちなみに森巣氏は、この御誓文を認めた 「無境界の人」(集英社文庫)で、博奕を縦軸に、否「日本人論」を横軸にして、自身の豊富で面白い経験と様々な持論を語られています。森巣氏には、英国生まれでオーストラリア国籍を持つ学者の妻と、10代から天才的な数学の才能を発揮して、難解な金融商品の開発に携わる事になる一人息子がいて、それぞれ独立して別居しています。しかし、家庭崩壊とは無縁の不思議な家族の繋がりがあり、ギャンブルも含め何物にも縛られない、ある意味意味理想的な家族、生き方を得られています。
最近、日本人論回帰やプチナショナリズムに括られる日本的な物の礼賛が流行りですが、森巣氏は博奕と家族と自身の行き方から導いた「無帰属の志」と「無族協和」という、これらの流行の対極にある考えを披露しています。簡単に言うと組織や民族は人や歴史の都合で作った物で、お互いの位置や位階を気にしなければ生きていけない社会を希望せず、個として生きる事を優先するという事です。非常に面白い考え方だと思います。
この考えの理論的な部分は、去年話題になった「ナショナリズムの克服」(姜尚中共著、集英社新書)にあるので、興味のある方にはお勧めします。そして「無境界の人」では「ナショナリズムの克服」に至るまでの背景が実に面白くわかり易く、博奕を通して描かれているのですが、ここにはある意味、博奕の自己分析と自己制御の習練を超えた何かに至る姿が描かれていると言っても良いと私は感じました。森巣氏の「無族協和」は理論的なのですが、氏の博奕の経験や行き方が、それを現実に引き寄せる力を持つ、「もしかしたら、結構行けるんじゃないか」と思わせるに足る何かは、氏の独特の経験と並んで博奕その物の奥深さに思い馳せずにはいあられないものがあります。
ちょっと話が逸れましたが、森巣氏は
■ 『博奕とは「不可測に賭する」という思考であり、ココロザシだ。あとは貴方の運次第』とも語っています。
「不可測に賭する」とは無常な人生その物であり、ココロザシh人生に対して向き合う事に他ならないでしょう。話が少し大袈裟になってしまいましたが、奥深きこの世界で、貴方のココロザシに幸運の女神が微笑まん事を祈りつ。


